拝金主義なタイと煌びやかな場所で考えること

タイ暮らしは人生のボーナスステージ。

勇気を出して海外へ逃げたから、こんなに素敵な場所に来れるようになったのか。

それとも運命で決まっていたのか?

どちらにせよ込み上げてくるものがある。

忖度上等、拝金主義のタイが好きだ。

ソサエティの棲み分けもハッキリしており、ハイソはハイソ同士でしか交わらない。

という価値観を隠そうとしないのが気楽。

日本は誰とでも仲良くしよう、みんな平等だと教育する。

そのくせ、親が子に「あの子のうちは貧乏だから遊んじゃだめ」と教えたりする。

田舎の閉鎖的な環境だと、貧乏だとか片親というくだらない理由で差別の対象になってしまう。

そんな事を気にしなくて良い、自分らしく生きなさいと、いるべき所に送りこまれた気がした。

昨今のわたしだけ見たらあまりお金に苦労してないイメージかもしれない。

親ですら「あなたはお金に困らない人生を送れる運命だよね」と言ってくる。

そんなことはないし、娘が高校の時バイト掛け持ちしてたの忘れたんだろうか?

底辺OL時代はスタバ買うのだって気後れしてたよ。10パック500円のドリップコーヒーが今でも好きだしね。

今だったら同じ空間でアフタヌーンティーしてる人たちのバックグラウンドを想像すると楽しい。

でも、昔は親になんでも買ってもらえて、悩みもなく苦労してなさそうな全ての人間が嫌いだった。

羨ましい。ずるい。

なんでわたしだけ貧乏なの?

お金がないのは辛くてみじめ。

あの時は小さい考えしかできなくて、社会が憎くてたまらなかった。

こんな自分なんか好きになれるはずがない。

未熟者だった当時の自分はお金があれば人生バラ色くらいに思ってた。

でもさ、よく考えてみたら悩みや苦労がない人なんているはずないんだよ。

お金があっても幸せじゃない人の方が圧倒的に多い。

お金持ちだから幸せじゃないっていうより、お金を持っている本人が幸せじゃないだけ。

お金は選択肢との引換券でしかないが、唯一「幸せ」とは交換できない。

ある苦労もない苦労も理解しているからこそ、見える景色。

核にある部分や残すべき感覚は大切にしていきたい。

わかっていたはずなのに、金銭感覚も正常なつもりでいたのに狂っていた。

無意識ってすごく怖い。気を引き締めよう。

底辺から引き上げてもらって居心地の良い場所にいられる。

わたしはとても運が良い。周りの人に恵まれた。

日本人として生まれただけで超幸運。

ということに日本から出て気づけた。

感謝の気持ちを忘れずにいたい。

こういったことばかり考えてしまいます。