卵子凍結に向けて妊娠など生殖関連の価値観を一旦整理してみる

不妊治療に関しては旦那にしか相談しないと決めており、これに関する話題は当ブログ内のみで完結させていく方針。

性に関する悩み、特に生殖関連は非常にデリケートな問題だから。

例えば、不妊の悩みを抱えている人と知り合い悩みを共有したら一時は気が楽になるが、もし自分もしくは相手がその悩みから解放されたら手放しに喜ぶのも難しい事が予測される。

一方で妊娠しやすい身体がコンプレックスな人もいたりする。

とにかく、生殖力は弱くても高くても自身のアイデンティティを脅かしたり、心に深い傷を負ってしまう。

だから、悪気なく普通に話題にするだけでも、誰かが傷つくという前提でいたい。

複数回もの出産経験があるような人から「子が見たい」という連絡をもらったりすると、デリカシーがないなあと感じる。

もちろんその人は悪気ないし、何なら親切心かもしれないけど、女性なら当たり前のように妊娠「するもの」という考えの持ち主なのだろう。

しかし、わたしはなぜか昔から妊娠って当たり前に「しないもの」という考えなので、根本的な部分から異なっている。

周囲の人たちが結婚しても子どもは?なんて質問、自分からは絶対しない。この時代、必ず結婚と出産がセットではないし、古い価値観をいつまでも引きずるのだろうか?ほんとに謎

生殖能力については個体差があり、もはや強弱ではなく別の生き物と割り切ってる。

人間は同じ種族だから一緒くたにされて、健康不健康・陽キャ隠キャなどカテゴリーで分けられるけど、犬だったら同じ犬でも犬種で変わるじゃん?

トイプードル・ハスキー・雑種・柴犬etc犬種によって外見も違うしなりやすい病気や特徴が違ってくる。

それを他人と比べて自分は欠陥品だなんて責めなくていいんだよ。

じゃあ何で取り組むのか?

顔がわたしで性格が旦那に似てる子どもが見てみたい。逆でもいいけど、それがすっごい面白そう。好奇心が一欠片あるかんじ。

しかし、得体の知れない恐怖感の方が圧倒的に上回るため、文字にして本心を確認してみたい。

・今の生活に不満がなく、夫婦2人で完結しており十分幸せ。これといって差し迫った必要性を感じないにも関わらず、何となく流れで子がいてもいいかなと旧価値観の刷り込みで行動してる違和感が拭えない。

・人生の目標がまず自己実現、とにかく自分主体で設定してきた。そこに第三者を介入させる未来像が描けない

・わりかし子育てはデメリットの方が多そうなイメージ。子が絡むとなればめんどくさい人間関係も避けて通れなくなる可能性が高い

・移住国を変えたり気軽にできなくなるビザなど子を連れて大使館に行ったり飛行機など大変そう

・産む前産む時すごく痛そうだしつわりもしんどそう。あと妊娠中のフォルムが昔から怖くて、マタニティフォト見るのもなんかイマイチ言語化できない感情を抱く。

つまるところ、まだまだ自分主体で、旦那と2人暮らしを楽しみたいということが分かった。え、惚気?

仮に子ができたとして、親ガチャ外れと思われない生活基盤は固めたつもりでいる。

仮に相性が合わなくても個性心理やNLPを学んだのでわたしが親に抱いたモヤモヤ、毒親回避ルートも設けてあげられるだろう。

デメリットとしては、高年齢で出産となれば体力も無くなる。リスクも高まる。

世界情勢は不安ではあるけど、我が子ならたくましく人生を切り拓いていくであろう。

【解決策】

・体力面→ナニーさんとか雇う
・高齢出産リスク→卵子の冷凍保存&着床前検査

賛否両論あるけど、新しい時代に合わせた色んな選択肢があるし、考え抜いて選んだらきっと後悔しない。

過去の自分がワクワクするような生き方も発信したいしね。

ロールモデルが自分ってなんかいいね〜

お堅いトピックだからお堅く書きたかったけど、結局素がでたので〆!

また心境が変わったらこの記事を読み返してのたうち回るとします。