「住む世界が違う」とは?

日本に行くと「普通」とのズレを感じてしまい

ここ近年は自分が宙に浮いた存在のように思える

居場所がないと言うか心が落ち着かないのだ

昔は同調圧力のみが怖かったが諦めと心疲労がプラスされ

心の芯まで冷え切った世界にエネルギーが削られる

どうしてこうなった?

物事への解像度は白黒だったのに

今ではパレットの色が多すぎて言語化が追いつかない

手取り13万で欲しい物すら買えないのがつらくて

昼から散歩してダラダラできる生活を目指したら

お金の悩みや物欲が消滅してしまった

お金のため生きるためではなくこの仕事が好きだから働いている

時空の歪みを横断して感じるのは

日本に関して言えば目に見える線がない風を装っているが

見せかけの平等が冷たい世界の完成度を高めてしまっている

平等な世界とはいえど競争がなくなるわけではない

安定の中に競争や序列は必ず生まれてしまう

これが目には見えないけどキッチリ引かれている線の正体

きっと自覚していないだけで誰もが無意識に引いている

こういった線が何百本も重なり合っているのだろう

かつては無数の線を憎みとてつもなく苦しめられてきたはずなのに

今はこれらの線がある事で保たれる秩序に安心しきっている自分がいる

引かれた線に対して不平不満を漏らすより線を越えていく方が確実だ

そう思って乗り越えていくうちに自分にも線が引かれる

日本を出たら海外に出た人

起業したら意識が高い人

結婚したら結婚してる人

別世界の人と線引きした瞬間、対象について考えるのをやめる

だから同じ世界の延長として捉える意識を持つように心がけたい

思考停止の時間が増えれば世界がどんどん狭くなってしまう

自分らしく生きれば生きるほど遠く離れていく旧友たち

少なくとも似たような境遇で生まれ育っているから学力に差異はなく

むしろみんなの方が勉強もでき両親が揃っている

経済的に豊かで環境も恵まれているはずだ

一方でわたしは学歴が低く良い会社に就職することもできず

社会不適合で職場で上手く立ち回れない

この道しか残されていなかっただけ

意識なんか高くない

ただ残された道を進んでいるだけなのに

「あなとは住んでいる世界が違う」

線を引かれる事には未だに慣れない

400円のプリクラ撮ってはしゃいでいた頃と同じ

楽しく生きたいつまらない事はしたくない

感情を1つずつ拾っていくのがつらくて線の中で閉じこもる

線の外に出なくなる

世界が交わらない

きっとこういう事なのだ

とうのとっくに気づいているよ

アラフォーともなれば働き方で収入格差が現れ

運動の積み重ねが体型に現れ体力にも影響する

美容への投資額で見栄えに差が出る

一緒に行ける場所も違ってくる

昔と同じようにはいられない

やるせない

ままならない

変えられるのは自分だけ

去っていく背中を見送る時はいつも悲しい

だけどやっぱり自由に選べる世界に住み続けたい

また生まれるであろう新しい線を見ないふりして今日も進む